このタイトル (「〜の妄想」) で記事を書こうと思いたったのは実はもう2年も前で、前職の頃、当時の同僚とランチに行った時にした雑談がきっかけでした。それ以来、その考えはずっと頭の片隅にあって、時々断片的なメモを書き留めたりしつつ、いつか文章にまとめたいと思い続けてきたんだけど、ここにきて急になんかいろんなパーツがカチッとはまった気がして、今こそその時だと思い、こうしてあらためて書き始めてみたというわけです。

で、ここからの内容ですが、はっきりいってかなり無茶なことを書いてると思います。一部の音楽関係者の方には怒られてしまうような話かもしれないけど、そのへんはまああまり大真面目にならずに、なんの影響力もない一個人の妄想ということで軽く受け流してもらえればと思います。

ということで本編。

ここ数年CDの売り上げ低迷が深刻な問題とされる一方、これからはネット配信が音楽の流通形態の主流となっていくだろうということで、これからの音楽産業の在り方について様々な議論がなされています。そこで、実現可能性は一切考慮せず、とにかく最短距離で答えを出そうとした場合、ここに辿りつくのではないかと思います。つまり、

もう音楽を売ることを商売にするのはあきらめちゃいませんか。

これまでは音楽を広く世の中に届けるためにはレコード会社 (ここではとりあえず音楽出版に関わる組織全般を便宜上レコード会社として話をすすめます) に頼る必要がありました。僕らが世界中の様々な優れた音楽に出会うことができたのは、それらを世に知らしめるべく働いてきたレコード会社の人たちのおかげです。ですが、今やインターネットを通じて、誰でも個人で世界中に向けて発信することができるようになり、ミュージシャンが自身のレコードを世界中のユーザーに直接届けることも、技術的には可能になったわけです。もちろんマーケティングという意味では、組織としての大手レコード会社の存在はこの先もまだしばらくは大きいと思いますが、ユーザー同士の口コミの広がりは、それすらも凌駕しうる規模でスケールするようになってきています。

それでは、レコード会社に頼ることをやめた場合、ミュージシャンは自身の作品についての対価をどうやって得ることができるでしょうか。

ここであらかじめ言っておきたいのは、ミュージシャンも対価を求めるべきではない、なんてことは僕も考えていません。ミュージシャンは相応の対価を得るべきだと思いますが、それを前提の上であえて問いたいことがあります。この手の話になると必ず出てくる以下のような主張です。

「音楽で生計が立てられなくなったら音楽を創る人がいなくなる」

え? そうなんですか?
お金もらえないなら音楽創らないんですか??

お金もらえないなら音楽創らないような人の音楽は、僕はいらないです。

僕の知っているなかでは、普通の職業に就きながらアマチュアとして音楽活動を続けている人がたくさんいます。そのなかには、あくまでも趣味でやっている人ももちろんいますが、本当に自分の表現と向きあって真摯に作品を生みだし続けている人もいます。彼らが音楽に向かうモチベーションは、いわゆるプロとして活動しているミュージシャンと何ら変わりはありません。

では、お金をもらわないミュージシャンのほうが優れているのか。もちろんそういうことではなく、本当に優れた音楽に対して正しく対価が支払われる仕組みがあったらいいのに、ということです。そこでは、純粋に音楽そのものが評価されます。ミュージシャンとは表現者であって、芸術家のうちの一つであって、職業の一つであるべきではないという考え方です。

ただしそうなると、作品の対価がミュージシャンの収入に直結してくるわけで、大衆受けする作品を創るミュージシャンはいいとして、大衆にはそれほど受けないけれども芸術性の高い優れた作品を生みだすミュージシャンは対価を得ることが期待できません。そもそもそういうミュージシャンは現在のシステムでもそれほど収入に恵まれているわけではないかもしれません。ですが、そういう大衆受けはしないけども優れたミュージシャンも自由に創作できる環境が与えられるのが理想です。

ならば、そのミュージシャンの音楽を支持する人がパトロンとしてその活動を支援するというのはどうでしょう。そんなことでその活動に見合うほどの金額が集まるのか。もし集まらなければそのミュージシャンは何か副業をしながら創作をしなければならないか、もしくは創るのをやめてしまうかもしれません。そのミュージシャンの作品を今後も聴きたいのであれば、なんとかしてミュージシャンを支えていく必要があるわけです。

このようなシステムにおいては、現在のようなメガヒットは生まれないかもしれません。スーパースターになってウハウハ!みたいな世界はもうないでしょう。ですが、本当に優れた音楽がこれからも生まれ続けて、それを必要とする人にきちんと届けられるようになることが何よりも重要なのではないでしょうか。

今レコード会社が売り出している中で、そこまでして支持されるミュージシャンがどれくらいいるのかはわかりません。そもそもそれに見合うほど優れた音楽というのが実際にどれくらいあるでしょうか。違法コピーを擁護するつもりはまったくありませんが、なんとなく売れてるからとかその程度で2〜3回しか聴かないような作品に、わざわざ対価を支払おうとは思えません。だから僕の場合は、違法コピーを利用するのではなくただ聴かないだけです。音楽が売れなくなっているのは、そもそも魅力に乏しい音楽を大量に宣伝して、「下手な鉄砲、数打ちゃ当たる」的な商売がされていることで、人々の音楽への興味を萎えさせてしまっているからではないでしょうか。

音楽産業という商売はもう終わりにしよう。でも音楽は死なない

もし本当にこのようなシステムに変わったら、音楽を専業として活動していけるミュージシャンは今に比べてほんの一握りの数になるでしょう。それをもって音楽自体の衰退との見方をする人もいるかと思います。ですが、これこそが、数字では測れない本来の意味において、文化としての音楽がこれからも発展していくためのあるべき形なのではないかと思っています。

もちろん、実現するにはいろんな壁があるでしょう。そもそも様々な既得権者が黙っちゃいないはずです。ただの理想論じゃないかと言われればその通り、冒頭にも書いたとおり一個人の妄想ですから、そのような批判は受け付けませんのであしからず。

その他、同じこと考えてる!と共感したり、今回あらためて参考にした記事を、下記に紹介しておきます。合わせて読んでもらえれば、僕の文章よりもちゃんと伝わると思います。



というところで結ぶはずだったんですが、今年に入って早々に、この妄想が現実に近づいていきなりジャンプアップしてきました。それが、Twitter経由で知った「まつきあゆむ」というミュージシャンです。

「1億年レコード」発表とM.A.F設立のお知らせ - まつきあゆむの日記

とりあえずこのリンク先の記事は全部読んでほしいんですが、上で僕がダラダラと書き連ねてきたことを本当に実現しようとしているのです。

現在、レコード会社どころかどの組織にも属していない彼は、自身が自宅録音で制作した新作『1億年レコード』を、自分の手で売ろうと決めたのです。ユーザーは直接彼にメールを送り、彼は自分でメールを返信して決済方法やダウンロードリンクを案内するというダイレクトな方法です。

そしてまた彼はそれだけでなく、『M.A.F』(Matsuki Ayumu Fundの略) を設立して、彼の音楽活動を支える基金として寄付を募るということを始めました。これはまさに、僕が上で書いたようなパトロンの仕組みの、よりスマートな形にじゃないでしょうか (これによって僕のこの記事は完全に後出しジャンケンになってしまいましたがw) 。

これらの取り組みについて、彼自身がより詳しく語ったインタビュー記事が以下にあります。かなりのボリュームですが、興味を持った方はぜひ読んでみてください。

web Rooftop: 自宅録音家 まつきあゆむが挑む音楽の流通革命(‘10年1月号)

そして何よりも肝心なのが、そういった販売方法とはまったく関係ないところで、彼の音楽がとてつもなく優れているということです。ここにあるのは、簡単に消費されてしまうような使い捨ての音楽ではなく、本当に価値のある本物の音楽であるということです。

自宅録音ということでイメージされる、閉じた雰囲気もありませんし、打ち込み中心の機械的な音でもありません。とても生々しく肉体的な音楽です。ビートルズからブルース、ヒップホップまで、過去の様々な音楽の影響が見えますが、全ての音がただの音遊びなんかではなく必然として鳴っていて、メロディーは本当に圧倒的な力を持ってこちらに刺さってきて、そして何よりも、彼は音楽の魔法を大真面目に信じきっているだろうということが音から伝わってきます。

彼のMySpaceのページでいろいろ試聴できますが、まずはこの『1億年レコード』のダイジェストが編集されたプロモーション的動画を観てください。僕はこの動画を観て、そして他の曲をも試聴して、もう本当に彼の音楽の虜になってしまいました。



そしてまた、この作品が2010年1月1日に発表されたというのがなんとも象徴的です。

ここでちょっと個人的な話になりますが、自分にとっての00年代を振りかえってみると、90年代末から行き始めたフジロックを通じて、2006年くらいまでは新しい音楽との刺激的な出会いがたくさんあったのですが、その後は、様々な事情によりフジロックからはここ3年遠ざかってしまい、レコード屋に立ち寄る機会も徐々に減ってきて、ついに昨年は、中二でロックと出会って以来24年間でおそらく初めて、ただの1枚も新譜を聴かずに過ごしてしまいました。もちろん音楽を聴くことをやめたりしたわけではないですが、最新のシーンにはすっかり疎くなり、もう自分は現役リスナーとは呼べないな、などと思っていました。

というわけで、僕にとっては尻すぼみに終わっていった00年代でしたが、実際のシーンにおいても、2009年は一番のビッグニュースがビートルズの旧譜リマスタリングだとか聞きました。今思えばまさに一つの時代の終わりだったのでしょう。

そして2010年がやってきて、1月1日に『1億年レコード』が世に出たわけです。
このレコードが実際のシーンにどれだけの影響力をもたらすかはまだわかりません。結局それはほんの小さなものなのか、それとも一気にどでかい風穴を開けることになるのか、いずれにしろ半年もすれば何か見えてくるでしょう。とにかくまったく何もないなんてことはありえないとは思います。そしてまたいずれにしても、数年後に2010年を振り返った時には、10年代の幕開けとしてこのアルバムがリリースされたことは、象徴的な出来事として語られることになることは間違いないと確信しています。

やっぱり時代は10年周期で変わっていくんだ!新しい時代が本当に始まるんだ!と思って、今なによりもそのことに興奮しています。大げさではなく、このレコードから何かが始まっていくはずです。音楽業界にとってはそれは終わりの始まりかもしれませんが、音楽にとっての未来はダイヤモンドと空の上で輝かしく待っていることでしょう。